今年初の寒波がやってきた12月の山形。天気予報では決行日である12月7日に雪の予報が出ていた。一筋縄では行かない旅になりそうな予感を感じながら、スキー場へ行くような装備・服装で雪の山形に挑んだ。

7日7:00に友人の奥寺さん宅へ向かい、念のためタイヤチェーンなど荷を積み込む。近所のマックで朝を済ませて北関東自動車道に乗る。個人的に真直ぐ引かれた高速道路はあまり好きではないが、下道で向かうと5時間弱の長旅になってしまうため、やむなく高速を利用して3時間弱で山形に着いた。

蕎麦処みねた

昼飯にラーメンを食べようという事で、「蕎麦処みねた」でラーメンを頼んだ。蕎麦屋さんが作るラーメンはうまみが詰まっためんつゆベースのスープで、弾力のあるラーメンの麺と以外と合っていて美味しかった。

奥寺さんの方は少々口に合わなかったようで、逆に自分の味覚を疑われてしまった。彼は相当な食通で、ラーメンと蕎麦のハイブリットのような変り種は得意ではなかったようだ。これは好みの問題であり仕方ない。そもそもこの世に万人に受けるものなど存在しない。

山形城跡と済生館

「山形城跡(霞ヶ城)」は山形市にある斯波兼頼が築城したと言われる城で、日本100名城に選定されている。現在は公園になっており、敷地内には野球場、武道館、体育館、美術館も併設されている。本丸の公開は期間限定(確か春から秋かな)で今回は立ち入る事ができなかった。

続いて、山形城跡の敷地内に再建された「済生館」へ。明治時代の医者で、ローレツ先生という外国の医師を高給で招いていたようだ。看護師の給料が2.5円程度が、ローレツ先生は500円だとか。なんという格差。

奥寺さんが日本刀があるんじゃないかと敷地内にあった美術館も見ることになった。展示物は化石や鉱石や縄文時代の土器などが殆どで日本刀が1本も無くて残念だった。

しかし落ち込んでいるところ珍しい展示物を見つけた。それはテンサラバサラ。この若い子のアクセサリーのようなものを1年に1度見ると幸福をもたらすという伝説がある。それを人生で初めて山形の美術館の片隅で見つけたのだ!

巨大なアメジスト。なんだかイチジクのようです。腹が減ってきていたので溢れんばかりに餡をたっぷり抱えた饅頭にも見えていました。

つるおかユースホステルへ

美術館を出た頃にはもう辺りは暗くなっていた。山形市から鶴岡市までは車で約1時間半。このとき日本海側に大きな低気圧があった。山形市は内陸部だが、鶴岡市は日本海側。そのため道中の峠で雪が降り始め、気づいたら路面が氷と積雪に変わっていた。

つるおかユースホステルのペアレントさんが丁寧な人で夕食に駅前の居酒屋さんを紹介してもらい、3人で一緒に銭湯にも入った。

つるおかユースホステルは古くなかなか雰囲気のあるところだった。1階が広々とした空間が会議室になっており、真ん中にはハウルの動く城に出たような大きな暖炉があり、ピアノも置いてあった。

三瀬海水浴場と白山島

翌日の朝、つるおかユースホステルを後にし、車で5分程度のところの海水浴場へ向かった。せっかく海に来たんだから海を拝まなくては。

海は低気圧の影響で荒れていた。こんな海もまた一興。

玉川寺

道中の水墨画のような銀世界に感動しながら、三川町東郷小学校を寄って玉川寺へ向かった。

三川町東郷小学校は最近建てられた木造建築の小学校である。コンクリートが主流なのにいまどき木造は珍しい。まるでログハウスを思わせるような造りになっている。校庭には案内板があり、どうやら一般開放しているようだった。

玉川寺は日本庭園が綺麗だそうで。入館はせず、門をくぐった先ですでに見事な庭園が拝めたし時間も迫っていた事もあり、今後の楽しみにとって置くことにした。

羽黒山五重塔と爺杉

随神門をくぐり、石段を下っていく。さらにしばらく歩くと羽黒山五重塔と爺杉が姿を現した。爺杉は樹齢1000年以上と言われており、直径は2mはあろうかというほどの大きな幹は圧巻だった。下から見上げただけでは高さがどれくらいなのか見当もつかないほどだった。

降りしきる雪の中の爺杉と五重塔は幻想的で壮観だった。あたり一面がモノトーンで、まさに水墨画の世界。遠くの雪はゆっくり落ち、近くの雪は速く落ちていく。降雪のおかげで奥行きが感じられ、より一層、爺杉と五重塔のスケール感がリアルに感じられた。

出羽三山神社

五重塔のところから石段で上がって出羽三山神社へ向かうと1時間半ほどかかるというので、車で有料道路を使って上がった。中々趣のある大きな神社だった。

ひがしねベアフットユースホステル

集中力が切れたのでここから画像のみ貼っていく

宝珠山 立石寺

文翔館

上山城跡