(映画が始まる前に京都アニメーション制作の映画の予告が2つあったのですが、あれってどうなるんだろう。。。)

本日ムービックスのサービスデーで安かったので、新海誠の新作「天気の子」を観て来ました。個人的な感想をつらつらと書いていこうと思います。ネタバレ注意です。

ストーリーのコアの部分を短くまとめると、

居場所を失った家出少年が、天気を操る不思議な力を得た少女と恋に落ちる物語。

天気一つで人の感状というのは変わってしまうものです。梅雨時期のような毎日続く雨の日々に、少しでも晴れ間が出た時には、ちょっと幸せな気分になるでしょう。そんな感状が表現されていて共感できました。相変わらず光や水の描写も凄く綺麗で、映像に見とれてしまいました。前作「君の名は。」の瀧くん、三葉、四葉、勅使河原カップルも友情出演していて「おっ」となりました。また、物語の設定にはたくさんの民俗学的なエッセンスが組み込まれていて説得力がありました。

しかしながら、動機が曖昧な部分や、演出目的だけの複線が多々あって、肉を落とすとそんなに深いストーリーではない感じが否めませんでした。特にトカレフを出した意味・・・おそらく強大な力というメタファーのためと、後に警官に追われることになる因果のためとは思いますが、その銃が重要なキーになるわけでもなく、ただの演出だけの印象でした。それは片方の手に掛けられた手錠しかり。物語り中盤から終盤に現れた渋いリーゼント刑事は、クライマックスで主人公を追うためだけに現れたモブにすぎなかったというのも勿体無い気がします。結末もなんだか微妙で、主人公が鳥居で祈るだけで、人柱の巫女となった少女の元へ行くことができ、尚且つ悪天候と引き換えに連れ戻す事ができたというのもやっつけ感が否めません。そもそもなぜ少女は病院を抜け出し、鳥居へ向かったのか。。

『「観測史上初」という言葉はいつからか、せいぜい200年程度だろう。この絵は800年以上前からある』というような話を老人がしており、天気は所詮気まぐれに過ぎないようなニュアンスの話がありました。これをこの物語の答えとして、少女の力や不思議な現象は実は全て幻想的な表現であり虚構であるとしたら、捉え方は変わってきます。拾ったトカレフを発砲して警察に追われる事になった家出少年と、親を失ってバイトで生計を立てている少女のボーイミーツガールの作品と捉える事ができるでしょう。

最後に須賀が少年の言葉に感化され、手錠を掛けようとする警官に体当たりをして少年を逃がし、夏美がピンクのバイクで少年を乗せて疾走するシーンは、少年の「彼女に会いたい」という純粋な気持ちに周囲の人達が強く心を動かされての行動であり、少年の彼女への強い気持ちを感じると同時に、”絶対的な力への対抗”というカタルシスがありました。

居場所を失った少年と親を失った少女は、お互い感化されることによって成長し、それに感化された周りの人も成長して行く、「天気の子」はそういう物語だと思います。