JB23-10乗りによる新型ジムニーJB64Wの試乗レポート!!

こんにちは。いつか乗ったランボルギーニより自分のジムニーの方が大好きな小林と申します。

新型ジムニーが遂に出ましたね。発表前からポロポロとリーク画像が出てましたが、とうとう本物に乗ることができました!

すんません!エンジンルームや下回りを撮りすぎて、後回しにしていた外観を撮るの忘れました!外観画像は出回っていると思うので、パンフレットの表紙の画像で許してください!

主に内面のレビューとなりますのでよろしくお願いします。

試乗した感想(JB23と比べてみて)

スズキアリーナに到着した時、展示されていたジムニーの周りには試乗待ちの人だかりがありました。自分は予めウェブで予約をしていたので優先的に試乗することができました

まず最初に気づいたことは、ドアが軽く開け閉めしやすいことです。JB23はドアをしっかりと閉めないと半ドアになってしまうのですが、新型ジムニーは軽く閉まります。

ちなみに、以下画像は店内の展示車です。試乗車は画像とは別のXCキネティックイエロー(AT)でした。

エンジンスタートはJB23とは違い、キーレスのボタンタイプです。キーをポケットに入れておけば、ボタンで始動するのは非常に便利です。

シフトレバーをドライブに入れる前にちょっと副変速機のレバーをいじらせてもらいました。手前に引くと4WDで奥にすると2WDです。少し硬い感じですが、JB23後期型のスイッチ式より切り替えが早く、ノールックで確実にチェンジできます。4WD-Lには押し込みながら手前に引くと入るのですが、少し体重をかける必要があるくらい硬かったです。

メーターはJA11の雰囲気を残しながらもモダンに仕上がっています。2窓のメーターで左がタコメーター、右がスピードメーターで、真ん中に液晶ディスプレイがありドアの開閉状態や走行距離や燃費情報などが表示されます。レッドゾーンはJB23後期と同じ7000rpmです。

センターコンソールは至ってシンプルですが、エアコンがオートになりました。(グレードによってはマニュアル)個人的にはエアコンは全車マニュアルであって欲しかった。。。パワーウインドウもセンターコンソールに付き、安全機能のオフボタンや坂道にエンブレを効かせるモードのスイッチが付きました。下部には収納もついたので、スマホなどの小物が置けます。

シートベルトをしようと手を伸ばすと引っ掛かりなくシートベルトが引き出せました。JB23だとシートの間から引き出す感じでコツが入りましたが、新型では改良されています。また、シートベルトをしまう時も引っかかりがなく収まってくれます。

フロアシフトレバーが縦に直なのはちょっと慣れが必要ですね。Dに入れるつもりが2に入ってしまったり、Rに入れるつもりがNやPに入ってしまったり、ATはめったに乗らないので戸惑いました。

いよいよアクセルを踏んで公道へ出ます。まあ普通のAT車のフィーリングです。MTであれば、クラッチやギアチェンジの感覚がレビューできたのですが。

更にアクセルを踏み込んで加速していくと、ATだからなのか、車重が1040kgと重い(JB23 MTは980kg)からなのか、若干のトロさを感じます。しかし飛ばす車ではないのでマイナスではありません。エンジン音はK6Aより静かでレスポンスが良く、低回転から良くターボが立ち上がる印象はあります。

ブレーキフィーリングは平地ですし、飛ばしていないのでよく分かりませんが、効き過ぎ効かなすぎという感覚は無く、踏めば踏んだだけ効く感じです。

ステアリングのフィーリングは素晴らしいです。前後リンクリジットコイルという構造上、路面のノイズをよく拾うのですが、ステアリングダンパーが搭載されたおかげか非常にノイズが少なく、適度にステアリングが重く、直進性に優れている感じがしました。ジャダーの耐性はどれだけあるのか気になる所です。

スペックや変更点など

エンジンは伝統の縦置きのFRレイアウトで、エンジンはJB23よりも後方に配置されています。そうすることにより、フロントタイヤでギャップを拾った際のショックと足回りの負荷が軽減されます。

搭載しているエンジンはハスラーなどに乗っているものと同じRA06A型です。最高出力は6000rpmで64ps、最大トルクは3500rpmで9.8kg・mと、JB23のK6A(10.8kg・m)よりも若干トルクが控えめです。電子スロットを採用しているため、自動ブレーキやクルーズコントロールなどのコンピュータによるアクセルの制御が可能になっています。エンジンルーム内は非常にすっきりしており、レイアウトは非常にメンテンナンス性に優れています

ただ、吸気口がエンジンの熱気をもろに吸うようなところにあるので、その辺は改良が必要でしょう。インタークーラーは前置きになっています。

オイルパンはアルミで、放熱性と耐蝕性に優れています。

画像では分かりませんが、オイルパンとエレメントはアクスルの裏にあります。オイルエレメント交換はステアリングダンパーやラテラルロッドが邪魔をするため少々めんどくさそうです。

ラダーフレームにXメンバーと2本のクロスメンバーが追加されたことにより、ねじれの耐久性が1.5倍になり、オフロードの過酷な走りに強くなると共に、オンロードでの高速走行時の安定性にも貢献しているそうです。ボディマウントのゴム素材は縦方向に柔らかく水平方向に強くすることで、ボディの揺れを抑えながら、振動も緩和することができたそうです。

グレードによっては、セーフティサポートとして、車線逸脱警告、ふらつき警告、先行者発信お知らせ機能、ハイビームアシスト、デュアルセンサーブレーキサポート、誤発進抑制機能など便利な先進機能が利用できます。さらに標識認識機能というものもあり、一通や最高速度を自動で読み取ってくれて警告をしてくれます。

4WD-L時にはブレーキLSDトラクションコントロールが有効化されます。空転したタイヤに対して個別にブレーキを掛け、接地タイヤに対して駆動力を余さず伝えることができます。機械式よりスマートなLSDを標準装備しているというわけです。

その他の変更点としては、アンテナがモダンになりました。

雨樋もついて、屋根から滴る雨水が車内に侵入するのを抑え、雪が窓にへばりつくのを予防出来るようになっています。雨樋のおかげでルーフキャリアの積載量が多くなりました。

リアにもあるソケットからは最大120Wの電源が取れます。

助手席にはグリップがついています。これはかつてのオフロード車には標準装備だったのですが、最近の車には搭載されなくなってしまいました。このグリップはオフロード走行時に非常につかまりやすくて重宝します。

その他にも色々な機能がありますので、詳細はスズキのディーラーで試乗してみてください!

予約殺到でハスラーを遥かに上回る勢い

月に2000台程度しか生産できないのにもかかわらず、予約数が3万件もあり、年内納車は厳しいとのことです。その勢いはハスラーを遥かに凌ぐ程だとか。

スズキジムニーは日本車で唯一、頑なにラダーフレームとリンクリジットコイルを貫いている硬派なオフロードカーであり、20年ぶりのフルモデルチェンジということで、非常に注目を浴びているようです。

また、最近の災害の多さから、”いざ”という時のために頼もしい足としても注目されているようです。

実は、今日試乗してみて正直後悔しています。なぜなら、
欲しくてたまらないんです!

と思いましたが、やっぱり余計な電子制御が無く、トルクもあるJB23の方が個人的には好き。

SUZUKI Jimmy JB23 10型の実燃費

JB23 10型 MTのカタログ燃費はJC08で14.8km/lです。

ジムニー関連の記事を見ていると「燃費が悪い車で10km/l切る」などと書かれていることがありますが、自分のジムニーはしっかり15km/l走ってくれます。タイヤはTOYO Open Countryです。ちなみに純正タイヤのブリジストンのH/Tではほぼ毎回16km/lをたたき出していました。

計測方法は満タン法です。満タンに入れた状態で走行し、次回給油時に距離をリッター数で割って算出しています。小数点第一位で前後しますが、大体15km/lを切ることは少ないです。

ちなみに空気圧を2.5kにしてハイオクを入れるとこの燃費になりました。

新型ジムニーの燃費はどれくらいになるんでしょうね。ものすごく気になります。

愛車JB23がパンク!OPEN COUNTRY R/TとCST ZERO-1 HYPERを購入!

ガタガタゴロゴロ

愛車のJB23に乗り込み、出かけようとして出した瞬間、”ガタガタゴロゴロ”という異音が!これはまさか。。。降りて確認してみると、左後輪がパンクしているではありませんか!
そういえば山に行った次の日どうも傾いてるなぁとは思いましたが、まさか後輪がパンクしてたなんて。

よく確認してみるとサイドウォールに小さな傷が付いていました。石などで引っかいたのでしょうか。あの時のあれか!という心当たりなどはありません。

これは純正タイヤで2年半前の納車以来、ずっと履き続けていました。悪路や高速道路で酷使していたので、2年半持ったのはたいした物でしょう。

溝の減りも結構ありました。タイヤの購入を考えていた頃だったので、今回のパンクはちょうどいいタイミングでした。

オートバックスの友達に相談

「パンクしたんだけど」「怪我とかしいひんかったか?」「いや、朝起きたらパンクしてた」「(;´゚д゚`)

ということでオートバックスへ行って良さそうなタイヤとホイールを探してもらいました。希望は10万円以下で純正より一回り大きいタイヤでかっこいいやつ。
何冊かカタログを見ながら、店員さんに電話で在庫確認をして頂き・・・選んだのがこちら!

CST ZERO-1 HYPER S

まずホイールは「CST ZERO-1 HYPER S 1655+22 5H139 フラットブラック」です。

http://www.doall.jp/cst_s.html

スポーティーでシックなレーシングホイールです。カーキのボディカラーにもよく似合いそうです。

TOYO OPEN COUNTRY R/T

タイヤは「TOYO OPEN COUNTRY R/T 185/85R16」を選びました。

http://toyotires.jp/sp/suv/open_country/rt.html

A/TとM/Tの両方の特長を兼ね備えたラギットテレイン(R/T)という新種のタイヤだそうです。トレッドパターンには工夫が施されており、タイヤの中央はA/Tパターン、両端はM/Tパターンに作られています。基本オンロードを走り、時々オフロードを走る自分にとってはぴったりなタイヤです。M+S(マッドアンドスノー)対応です。

”友達割り”でだいぶ安くして頂きました。人気商品ですが、たまたま在庫が確保できたとのことで納期は3日後ということになりました。

でん!

純正タイヤが175/80/R16に対し、こちらは185/85/R16と一回り大きいので、車高が1.7cmほど上がり、タイヤの幅も1cm広がりました。

ボディ干渉は無し

リフトアップはしておらずノーマル車高ですが、ハンドルを一杯に切っても干渉することなく問題なく履けています。車高は+-4cm以内なので車検も問題ありません

メーター誤差は許容範囲

大口径タイヤを履くと気になるのがメーター誤差ですよね。*計算してみたところ、5速4300RPMで走るとすると、純正タイヤは約99km/h、こちらのタイヤの場合、約103km/h。この回転数で誤差は4kmほどです。個体差はあるかもしれませんが、JB23W 10型のメーターは+4km/hくらいで表示されるようになっているので、メーター誤差はそれほど気にしなくてもいいと思います。

*JB23W 10型 MTの場合です。

乗ってみた感想

若干車高が上がっている感がします。いかにもM/Tなキャラメルタイヤですが、ロードノイズや振動は見かけによらず純正ラジアルタイヤと殆ど変わりません。舗装路を走ってみると少し転がり抵抗が増えた感じがします。タイヤ径と幅が増えたので仕方ないですね。しかし、路面のギャップに対しては寛容さ(?)を感じます。岩や砂利道に対してはしっかりと食いついてくれます。濡れた路面はやや滑りやすいかなという印象です。

総合的に見ると、オンロードの快適性とオフロードのトラクション性能を兼ね備えており、オールシーズン使える頼もしいタイヤです。

しばらく乗ってみてデメリットについても書いてみたのでよろしければどうぞ

TOYO OpenCountry RTの良くないところ

貯蓄は美徳というプロパガンダ

現金主義の日本人

日本人は世界的にみても現金での貯蓄に対して関心が高い。日本銀行による「資金循環の日米欧比較(2017年)」の「家計の金融資産構成(3ページ)」を見ると、日本人は現金預金が51.5%に対し、アメリカ人は13.4%で、逆に投機的な株式等と投資信託は日本人が15.4%に対し、アメリカ人は46.8%となっている。ヨーロッパは日本とアメリカの中間的な値となっている。

日本人は現金預金で資産を持つのに対し、アメリカ人は投資信託株式等で資産を持つ傾向にある。いったい何故日本人は現金預金を好むのだろうか。

明治時代の郵便制度導入

まず日本の貯蓄の歴史について考えてみる必要がある。
貯蓄の概念が出来始めたのは明治時代以降である。明治8年、郵便制度導入にあたり、政府がイギリスの郵便制度を調査したとき、貯金業務も行っていることを学び、郵便貯金制度を導入して国民に貯蓄を推奨した。しかし、江戸ことばに「江戸っ子は宵越しの銭持たぬ」という言い回しがあるように、明治初期の日本には貯蓄という概念が無かった。政府の人間が僧侶に庶民への普及を懇願したところ「日本人の気質に合わない」と一蹴されたこともあった。そこで政府は公務員にボーナスを付与し、それを強制的に貯金させたり、貯蓄の道徳について小学校の教育に取り入れることを発案するなど努力した結果、庶民に貯蓄思想が普及し、貯蓄率が上昇していった。しかし、当初は集まった資金の運用先が見つからなかった。

軍事資金に充てられるようになる

昭和12年に日中戦争が始まると、増加した戦費の財源として軍事公債が発行され、軍事公債を消化するために郵便貯金が充てられた。さらに郵便貯金が奨励され、昭和13年に「国民貯蓄運動」が開始。昭和16年に「国民貯蓄組合法」が法律で制定されてさらに組織化された。国民は住んでいる町村や勤めている職場、通っている学校などで結成された国民貯蓄組合の構成員となり、それぞれの組合で貯金をしなければならなくなった。それと平行して貯蓄で国が豊かになれば強くなれる「お国のためになる」というプロパガンダなポスターなども発行された。

貯蓄が美徳というのは

一番最初に挙げた「資金循環の日米欧比較」の「家計の金融資産構成(3ページ)」のように、日本人は現金預金が多いことが分かる。自分自身、学校や家族親戚に”貯蓄は大切だ”という考えが刷り込まれてきたと肌で感じる。

貯蓄のメリットとして不測の出費に備えることができるとされるが、損得で考えれば、貯蓄という行為が必ずしも最大の効力を持つとは限らない。
例えば、急な病気や怪我などに備えるのだとしたら、貯蓄するよりも生命保険に掛けるほうが、少ないお金で有事の際に大きなリターンが得られる。更に、生命保険控除で節税にもなる。

明治初期にはイギリスに憧れて作った郵政を成功させるためのプロパガンダが、昭和には軍費の財源確保のための貯蓄奨励のプロパガンダがあった。結局のところ、日本人の現金預金主義は政府によるプロパガンダの名残なのではないかと思う。

2001年に確定拠出年金が始まり、2014年にNISAが始まり、ジュニアNISAというものまである。
現在、政府は貯蓄よりも投資を奨励している。

二本松と会津若松へ

2泊3日で二本松城と鶴ヶ城と日新館を観光してきました。
この地域は戊辰戦争の激戦地の一つで、燃え盛る鶴ヶ城の城下町を見て自刃した白虎隊や、腰に刀を差しスペンサー銃を構えて篭城戦をした新島八重などが有名ですね。
歴史などについては、ぼやーっとしか知らなかったんですが、今回友達が用事のついでに観光に行こうということで、お供させていただきました。

二本松城

群馬から二本松まで東北自動車道で3時間ほどです。土曜の夕方に出発して途中のPAで一晩明かし、翌朝二本松城へ向かいました。この日はマラソン大会があったようで人が多かったです。

城の前には二本松少年隊の像が設置されています。
銃を構えていたり、刀で突きを繰り出している格好の動きのあるリアルな像です。

二本松少年隊で有名な戦いとして大壇口の戦いがあります。言い伝えによれば戦力自体は劣勢ながらも好戦だったようで、二本松少年隊の錬度の高さがうかがい知れます。

大壇口の戦い http://www.yae-mottoshiritai.jp/ashiato/battle-oodanguchi.html
慶応4(1868)年7月29日、板垣退助率いる新政府軍と、二本松藩士・丹羽右近(にわ うこん)率いる二本松軍が繰り広げた二本松の戦いの攻防の一つ。当時、二本松藩士の多くが白河口に出兵し兵力が不足していたため、やむなく木村銃太郎率いる少年隊に出陣を命じます。戦場となったのは、二本松城の南に位置する大壇口。小高い丘で、奥州街道を北上してくる新政府軍を食い止める、最後の砦でした。
決戦前日、銃太郎は少年隊士を連れて、大壇口へ向かいました。しかし、数え年13歳から17歳までの少年たちには、「命をかけて戦場に行く」という悲壮感はなかったようです。大壇口に到着した少年隊士は、畳を重ねて作った即席の防柵をたてて、敵を待ち構えました。
翌日、新政府軍は進軍してきました。対する二本松軍で大壇口を守っていたのは木村隊長率いるわずか25人あまり。木村隊長の合図とともに、少年隊士はいっせいに新政府軍の隊列めがけて砲撃を開始します。その砲撃は的確で、一時は新政府軍の前進を止めるほどでした。当時のことを、新政府軍の指揮官・野津道貫(のづ みちつら)は「我が軍は正面攻撃では奏功せざることを覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、恐らく戊辰戦争中第一の激戦であつたであろう」とある書物に記しています。
善戦するも、新政府軍の兵力に、少年隊は退却を余儀なくされます。木村隊長が少年隊士に次の指示をしようとした時、一発の銃弾が彼の腰部を貫きました。この傷では城に帰ることはできないと悟った木村隊長は、少年隊士に自分の首を落とすように命じます。少年隊士たちはこれを拒みますが、最終的には少年隊副隊長の二階堂衛守(にかいどう えもり)が介錯しました。
その頃の二本松城下は、すでに新政府軍の占領下にありました。城に残っていた老兵たちが必死の抗戦を続けましたが、二本松城はその日のうちに落城しました。
二本松の戦いでの二本松藩の戦死者は337名、負傷者は71名でした。

近くの資料館にも寄ってみたが、展示品は多くなかった印象です。敗戦した際に新政府に押収されてしまったのでしょうか。

会津野ユースホステルに宿泊

次の日は鶴ヶ城と白虎隊ゆかりの地を巡るため、会津野のユースホステルを予約しておきました。
アットホームで雰囲気が良い所でした。広大な田園の中にぽつんとある感じですがこういう感じも好きです。4G回線も問題なく通っています。

夕飯はわっぱ飯、朝食はペアレントさんが焼いたパンが振舞われました。

おいしかったです。メニューも非常に健康的です。
朝食を食べた後、ペアレントさんに挨拶をしてユースホステルを後にしました。

鶴ヶ城

26日月曜日、鶴ヶ城へ向かいました。
こっちの方の道路は本当にのんびりしていてすごく居心地が良い。平日の地元だったらみんなが我こそはとせかせかしてる雰囲気ですがこちらにはそのような感じは殆どありません。

車を走らせること10分弱で鶴ヶ城付近に到着しました。南側の無料駐車場に止めて徒歩で城内へ向かうのですが、一番近かった東の橋が工事中だったのでぐるっと北に回る必要がありました。
ぐるっと回ったお陰か、鶴ヶ城の北にある道場「武徳館」の存在に気づけました。これもまた立派です。このような立派な道場で稽古をしてみたいものです。

駐車した場所から徒歩20分ほど。城の敷地にようやく入れました。
安定感を感じさせる造りでこれまた壮観です。城の石垣は郭の石垣と違い、無加工で組まれごつごつした印象に見受けられました。

入場券を購入して城内へ。
城内は殆どのエリアが撮影禁止になっていました。簡単に撮影されてしまっては展示物の価値が下がってしまいますからね。
展示物は鉄砲、刀、書物などです。動画や図で白虎隊や城にまつわる事柄が解説されているところもありました。
個人的に展示物の中で一番目を引いたのが刃こぼれが2箇所ある刀でした。腰のお飾りだった刀よりも、実際に打ち合って刃こぼれをしている刀の方が比にならないほど見ごたえがあります。

NHK大河ドラマ「八重の桜」で山本八重役の綾瀬はるかさんが着ていた衣装が展示されていました。

順路の最後は天守閣です。当時の人がどのような景色を見ていたのかがなんとなく想像できそうです。
天守閣から見た飯盛山方面。

飯盛山

鶴ヶ城といえば白虎隊の話が有名です。白虎隊は本来城下を守る予備兵力でしたが、人員不足から前線へと進軍することになりました。2番隊は戸ノ口原で打撃を受け、飯盛山まで退却するも、燃え盛る城下町を見た隊士達は2つの決断に迫られました。鶴ヶ城に戻り戦うか敵陣に斬り込んで玉砕するか。いずれにせよ負け戦であったため、武士の性分を果たすべくその場で自刃をするという決断に至ったそうです。自刃した20人のうち、喉を付いた1名のみが生き残り、そこから白虎隊の悲劇が現在に伝わっています。

隊士達が潜伏した洞窟

自刃の地の手前にさざえ堂という変わったお堂がありました。どうやら中はらせん状になっているようなのですが、天辺には何があるんでしょうか・・・気になりましたが人が多かったので楽しみは次回に取っておくことにしました。


このさざえ堂、横から見ると傾いているんですよね。これがまた良い味出してます。

少し上ると広場になっており、白虎隊士の名前が刻まれた墓が並んでいました。
さらにおくに進むと自刃の地が現れました。分かりづらいですが、画像中央に鶴ヶ城があります。景色は当時と違えど、隊士達も同じ方を見ていたことでしょう。

おわかりいただけただろうか。。。何故かこの画像から中央右あたりに黒いモヤが入るようになってしまいました。
最初はレンズの汚れかと思い、よく拭いてみましたが変わらず、光の加減かと思って、手で日光を遮ってみても変わらず。。。
仕事でデジタル画像を取り扱っていますが、このようなぼけ方は今まで見たことがありません。このときはとりあえずCCDの劣化か何かだろうと思うことにしました。

日新館

白虎隊の学び屋 日新館も行って見ました。友人曰く、会津には昔からよく来てるけどこんな建物無かったなぁ。それもそのはず、調べてみたら1868年に戊辰戦争により校舎は焼失しており、残っていた物は展望台後のみだったそうです。それを1985年に火の手を免れた図面を元に総工費34億円を費やし復元をした施設です。

日新館は今で言う「国語・算数・理科(天文学)・社会」に加え、「弓道・砲術・剣術・柔術・馬術・潜水術・兵法」などを教わる防衛大学のような学校だったそうです。
現在は弓道場や道場は料金を払うことで借りることができる施設になっています。弓道や座禅、茶道、赤べこの絵付けなどが有料で体験できます。

今回の旅行の感想と後日談

今回、友人の奥寺さんと2泊3日で会津若松と二本松を周ってきました。二人で写真を撮っていると、「撮ってやるよ」と気さくに声を掛けていただいたり、スタッフ張りに一般の方が丁寧に案内していただいたり、福島の方々は本当に親切で、観光客を大切にしている県なんだなとほっこりしました。

二本松城と鶴ヶ城を周ってきましたが、両方とも素晴らしい立派な城で佇む姿は実に壮観でした。二つの城の石垣の積み方のコンセプトは異なるようですが、どちらとも内側に荷重が落ち込み合うように組まれているのは共通で、実に良くできているなと関心します。また、城で活躍していた二本松少年隊、白虎隊、新島八重のストーリーにも胸を打たれました。少年隊の錬度の高さ、白虎隊の武士としての精神、男尊女卑が当たり前だった時代に最新式の銃を持って戦った新島八重。そうだドラマ「八重の桜」のDVDを借りなければ。。

CCDの故障か劣化かと思われた黒いモヤがかかる現象ですが、帰宅後に試しに空を撮って見たところ、何も写らなくなっていました。

自分は信心深い方ではないのですが、このような現象が身に起こると相応の敬意を払わなければならないと思いました。