ハイキング 最勝寺→浄因寺→行道山

自分の住んでいる所は四方が山に囲まれたとある町。四方が山と言っても山奥というわけでもなく、僻地というわけでもない、高速と駅がありアクセスは程ほどに良く生活に不便はしない。

この日は自室の窓から見えていた東の山を登ってきた。この山は窓の外を見るといやでも目に入る山で、小さい頃は時々望遠鏡で山肌を覗いてみたりもした。

最近山と言う山には大体登山道があるという事を知ったのでこの山も登ってみることにした。以前は見るだけだった山についに足を踏み入れる。

本当は車でもっと上まで行く事ができるが、立派な入口があったのでここから登った。

石階段は直ぐに終わってしまい、くぼみのような道になっていた。足場はざらざらした岩でグリップが良く歩き易かった。

しばらく登ると年季の入った東屋が現れた。屋根は所々腐っていて瓦が落ちていた。

しばらく登るとあたりを一望できる所が現れた。右奥に見える山が金山だ。

1256年に立てられた供養塔。

子種石。触ると授かれるそうです。

大岩毘沙門天の参道の石段。1704年当時の形のまま残っている。

大岩毘沙門天本堂。建物は1762年の再建だそうで。ここでは足利の奇祭「あくたい祭り」や「滝流しの式」が行われる。

毘沙門天の杉。秋田県の羽黒山の爺杉には叶いませんが、こちらも樹齢600年と立派。

本堂を後にして上へ。

乾いて冷たい初夏の風が心地良い。この時期の山の匂いは好きだ。

さらに上へ。

車で来れるのはここまでです。(自分は歩きで来ましたが)

ここで分かれ道が。左は階段、右は「巻道」と書いてある看板がある。おそらく山を巻き込むように緩やかに登っていくのだと信じてこちらの道を選んだ。

明らかに下っているし、途中で分かれ道があったりする。

矢印を信じて左の道を選ぶ。明らかに登ってるし間違いないだろう。

ここではGooglemapは使えない。時々看板が現れて安心する。

しばらく歩くとトロッコの線路が現れた。

どうやら浄因寺まで来たようだ。

 

まるで山城のような石垣だ。石段を登っていくと、中々エモい建物が現れた。

結構大きく立派な建物だ。ちなみに先ほどのトロッコが開通したのはここ数年らしい。こんな山奥までよく資材を運んできたなと感心する。

猫が住んでいた。

本堂裏からさらに登る。

こころなしかここは首無し地蔵が多い。

竹に書かれた文字。傷を付けることでその竹が枯れない限り半永久的に文字が残るというもの。一番古いもので1999年の書き込みが確認できた。

0.6kmとあるが、山の600mは体感で地上の2kmくらいはある。

見晴台という名だけあって見晴らしがいい。

根釈迦

まだまだ登ります。尾根っぽいところだなと思ったら、

ついに行動山(442m)の頂上に着きました。あさっての山に行かなくて良かった。

遠くに赤城山が見えます。

足利市も一望できます。

大岩毘沙門天に続いているようで良かった。

もう後は尾根を歩いて下るだけです。

ほぼ直線の尾根が終わったら連続ヘアピンで山の斜面を下ります。

どちらに行こうか迷った分岐に戻りました。終わったー。

今回歩いたルートは大体こんな感じ。

Classic EditorじゃなくてもTinyMCE Advancedだけで旧エディタに変更可能

Classic EditorじゃなくてもTinyMCE Advancedだけで旧エディタに変更可能でした。

プラグインページのトップにClassic Editorが出ていたのでそれを入れなきゃならないのかと思いきや、TinyMCE Advancedの設定から次の2つにチェックを入れると旧エディタになりました。

Add “Classic Paragraph” Block.
Replace the Block Editor with the Classic Editor

これは盲点だった。

法神流の稽古を見学体験させていただきました。

 法神流の稽古を見学体験させていただきました。
https://blogs.yahoo.co.jp/amb_akagi/43940255.html

引用元 https://blogs.yahoo.co.jp/amb_akagi/GALLERY/show_image.html?id=43940255&no=1

渋川にある赤城スポーツセンターに入ると、2Fの方から「エイ」「ヤー」「トー」という威勢のいい掛け声が早速聞こえてきました。
2Fに上がるとこの日は11名の同志が集まっており、二人一組で法神流の組太刀を行っていました。
見学の旨を伝えると、快く法神流の概要について説明をして頂き、体術の巻物のコピーまで見せていただきました。その内容はぱっと見た感じでは大東流のような体捌きのように見えました。これだけのものが残っていると思うとワクワクしますね。これら書物は荒木流や気楽流をやっている方によって復元が試みられているそうです。

早速、先輩方とは別の列で基本的な型の指導を受けさせていただきました。
足捌きは独特で腰を大きく落とし、田んぼの中を歩くように足を上げて移動します。剣の振り方にも独特なものがあって、振りかぶった際に後ろ足を前足のふくらはぎに乗せて、剣の振り下ろしと同時に足を落とすというもの。この動作はかなり体幹が鍛えられます。
田んぼの中を歩くような足の運びはおそらく足場が悪いところでの戦闘を想定しているのではと個人的に思います。
独特な動きは多々あるものの、殆どの動きは合気道の剣術と被るところがありました。

引用元 https://blogs.yahoo.co.jp/amb_akagi/GALLERY/show_image.html?id=43940255&no=2

1時間ほどやって休憩時間中、どうやら法神流の門弟による文書が新しく見つかったそうで、コピーを並べて解読していました。
古文書の解読に詳しい先生がおり、その方によって現代語に解読されていくと、どうやら他流試合の結果をまとめた記録であることが読み取れました。
後で知りましたが、その先生は伊賀の忍者の血筋を引いている凄い人でした。剣だけでなく手裏剣となぎなたの使い手だとか。

法神流の稽古をしている方たちは剣道の高段者だったり、荒木流や気楽流などの柔術家であったり、忍者の血を引く考古学者だったり、30年前に岩間で斉藤守弘先生の下で内弟子をしていた方もいらっしゃって驚きました。とにかくもう凄い武術家達の集まりでした。

いい体験をさせていただきました。また機会があれば稽古に参加させていただこうと思います。ありがとうございました。

赤城山の御神水

赤城山の御神水を貰いに行ってきました。

 赤城山頂記念館サントリービア・バーベキューホールの駐車場の脇にこのような看板があるので、そこから建物の裏手に回るとトロッコ駅の跡があります。

トロッコの荷台。底に穴が開いて草が貫通しています。

下を見るとこんな感じ。線路の両サイドに階段があり、それが永遠に続いています。

100mくらいまでは見えますが、道が少し左に曲がっているのでその先は見えません。1段でも脚を踏み外したら加速しながら何処までも転がっていく事でしょう。

歩けど歩けど同じ風景。下りはよいよいだが登りはどうなることだろう。。。調子こいて手ぶらで下りてしまった事に後悔しながらひたすら下る。

大きな岩がトロッコのレールを壊していた。岩の佇まいからこの位置にとどまってから相当な年月が経っている事が感じ取れる。
ここにはとてもじゃないけど岩をどかせる重機は来れない。玉掛けのプロならジャッキなどを駆使してどかせるのだろうか。。トロッコの廃線の理由は落石(またはそのリスクを考慮して)かもしれない。

ようやく御神水の看板が現れた。地図を見ると御神水の標高は1240m。頂上駅の標高は1400mだから垂直で160m下った事になる。頂上駅からここまでの直線距離は約280m。というと階段の角度は約35度。自宅の階段並みにきついです。

単管で作られた簡易的な足場を下ると、朽ちたバラックがあった。バラックの下にはコンクリートで囲いがされてあり水がたまっている。バラックの裏を見てみると岩の隙間から水が湧き出ているようだ。

水は透き通っていて綺麗だが、この朽ちたバラックは要らないのでは。。
朽ちた壁にはカビが生えていて鉄骨は錆びている。山の水でこう言うのはアレだがバラックのせいで衛生的に問題がありそうな感じがする。

赤城の「あか」は水を意味する説が有力だそうで。赤城山は昔から水源として重宝されていたのですね。

行きは良いよい。。。帰りの登りが一番辛かった。

ジムニー TOYO OpenCountry R/Tの空気圧

TOYO OpenCountry R/Tを履いてかれこれ3万キロ近く。OpenCountryの空気圧はこれだ!という情報がネットに無かったので、下記の記事を参考に2.6k~3.0kの範囲で色々試してみましたが、最終的に2.6kで落ち着きました。

上の記事では、標準タイヤの負荷能力をLIと指定空気圧から520kgと推測し、それ以上の負荷能力になる空気圧にすればいいとして、LT規格の対応表をもとに最低限260kPa入れておけばOKとしています。

購入後しばらく2.5kで運用していたのですが、でかいタイヤだしブロックも大きいので、4輪とも2.9k入れてみたところ危険が危ないくらいに高すぎました。でこぼこの舗装路でブレーキを掛けるとABSが介入したり、コーナリング中に段差を踏むと横滑りしたり、明らかにグリップが落ちてる感があります。あと乗り心地が悪すぎる。。

乗り心地が悪いのが一番気に入らなかったのでLT規格の対応表に載っている最低の数値2.6kにしたところ、それで落ち着きました。さすがに2.9kと比べると少し転がり抵抗を感じるものの、乗り心地はマイルドだし、適度なグリップ感からコーナリング中の安心感が違います。

個人的には2.6kをオススメします。

ニス無しの木刀の手入れ・保管の注意点

椿油などの植物油でクリーニング・保湿

木製武器は、植物性の油を用いてクリーニングを行います。植物油には椿油やオリーブオイル、レモンオイルなどがありますが、どれも効果は大差ないかと思われます。植物油を染みこませる事によって保湿されるため、湿度変化からくる歪みや割れも予防できます。

ヤスリ掛けをする

木製武器は打ち合っていると徐々にささくれてきます。最初のささくれは軍手などでなぞると引っかかる程度の微妙なものですが、これを放置して打ち合っていると、いつかパキンと大きな割れが生じます。割れや怪我を予防するためにも気になったらヤスリ掛けを行い、その後、植物油で磨きましょう。

木刀は立掛けない

木製武器は長時間力が掛かったまま放置していると徐々に歪んでいきます。立掛けているだけでも自重によって数ヶ月で歪みが発生する個体もあります。保管の際は必ず水平にしましょう。

製薬会社が”うつ病”を啓発っておかしくない?精神疾患が増えている4つの理由

年々増え続けているうつ病

厚生労働省「患者調査」によると、「気分[感情]障害等」を患っている人数は平成8年に43.3万人だったのが、平成29年では127.6万人と3倍近く増加している。

「気分[感情]障害等」の一つである「うつ病」が増えている原因として、社会情勢や近年のストレス社会を例に挙げられることが多いが、原因はそれだけでは無いと思う。なぜなら人間は常にその時代ごとに苦労をすることはあっただろうし、幸福や不幸の価値観もその時に応じて変化してきたはず。現代だけが精神を病みやすい社会になってきているという説明には限界がある。

うつ病が増えている原因を4つ考えてみた。

1.製薬会社による うつ病の啓発活動の結果

このCMの製作元は「グラクソ・スミスクライン(GSK)」というイギリスに本拠地を置く大手グローバル製薬企業である。このCMは「うつ病啓発キャンペーン」の一環で制作された物のようだ。同キャンペーンでは「うつ病 小冊子」を配布し、専用フリーダイヤルを設けて4万件近くの問い合せを受けたそうだ。おそらく多少心当たりのある程度の人々が不安を煽られて問い合せをしたのだろう。

「一連の啓発活動の結果、広告認知者ほど”うつ病はだれでもかかりえる病気”、”適切な治療で治る”という理解を示した」というレビュー調査をわざわざ行っている。

GSK うつ病啓発でアクセス15万件
2003/03/04 23:00

グラクソ・スミスクライン(GSK)は3月4日、全国主要新聞とテレビCM(関東、関西地区)で昨年9月から12月までに行った「うつ病啓発キャンペーン」の結果を発表。期間中、3万9601件の問い合わせがコールセンターに寄せられ、専用インターネットサイトには11万7575件のアクセスが記録されたことが分かった。キャンペーンは、うつ病に対する誤解や偏見をなくし、早期診断を促すことを目的に実施。製薬企業によるこうしたうつ病に関する大規模キャンペーンは日本で初めての試みという。期間中、専用フリーダイヤルを開設し、希望者に「うつ病 小冊子」を提供。同時に、うつ病に関する詳しい情報を提供する専用インターネット「こころのくすり箱」も開設した。モニター調査も並行実施。啓発広告によるうつ病の認知、理解度やイメージの変容、啓発広告の印象などについて約6000人を対象に実施したところ、広告認知者ほど「うつ病はだれでもかかりえる病気」「適切な治療で治る」と、理解が深かった。一方で、多くの人が、うつ病の治療で医療機関を受診することに対して「特別なことだと思う」と回答。うつ病治療は依然として敷居が高いことがうかがえる。

https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=27841

この記事は「うつ病啓発キャンペーン」の半年前の記事で、2000年に発売したパキシルが順調に売上を伸ばしているという内容のもの。医療関係者や株主等からしたらパキシルは「大型製品に成長した」製品であり、「順調に売上を伸ばしている」喜ばしいニュースなのだ。

GSK 「パキシル」01年売上高120億円と好調に推移
2002/4/10 00:00

 グラクソ・スミスクラインが2000年11月に発売した抗うつ剤「パキシル」(一般名・塩酸パロキセチン水和物)は、年間売上高が100億円を超える大型製品に成長した。01年(1〜12月)の売上高は120億円(薬価ベース)となり、順調に売り上げを伸ばしている。

 「パキシル」は99年に明治製菓が発売した「デプロメール」(藤沢薬品工業が「ルボックス」で並売)に続く国内2番目のSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)。うつ病、うつ状態に加え、国内で初めてパニック障害の適応が認められている。発売時期はデプロメールより約1年間遅れたが、直近の売上高はすでに100億円を超えた。

 海外での10年以上にのぼる販売経験ですでに安全性、有効性が確立しているほか、「1日1回投与」で効果を発揮する特徴が医療現場の支持を得たようだ。マーケティング本部中枢神経領域部の中川恒司プロダクトマネジャーは「(うつ病患者が増加するなかで)パキシルが投与される機会が増えていくという感触はつかんでおり、売り上げは今後も着実に伸びていく」と予測している。

 今後は内科など専門科以外にもプロモーション活動を展開し、さらなる売り上げ拡大をねらう。また、すでに海外で認められている適応症を中心に追加申請の準備も進めている。現在、強迫性障害(OCD)と社会不安障害(SAD)に関するフェーズ2を実施中。同製剤は90年に英国で初めて承認されて以来、現在、世界100か国以上で使用されており、投与患者は推定8000万人以上。全世界の売上高は01年(1〜12月)で18億5700万ポンド(約3565億円、最新の為替レートで計算)。

https://nk.jiho.jp/article/p-1226550375359

SSRI系の薬には依存性があるため急にやめることはできない。SSRI系の薬を止める場合は徐々に減量していく必要があるため、一度患者に飲ませてしまえば、決められた用量を飲み続けなければならないので継続的に売上が得られる。

「うつ啓発キャンペーン」は、うつ病に悩む人々の為ではなく、パキシルの大きなマーケットを見据えた製薬会社による私腹を肥やすためのキャンペーンだったのだろうか。このような市場拡大を目的とした啓発活動のことを「病気喧伝」と呼ばれているが、このような病気喧伝はシオノギ製薬と日本イーライリリー株式会社でも同様に行われている。

2.行き過ぎた健康志向

巷には行き過ぎた健康志向や誤ったダイエット方法の情報が溢れている。例えば、とあるヨーグルトのCMではキャッチーなリズムとともに塩・糖・脂を悪者と見立てているが、いずれも人間が生きるのに必要な栄養素だ。

にはミネラルが含まれており、減塩しすぎるとミネラルの摂取量が減ってしまい様々な症状が出る。食事によって摂取したたんぱく質はカルシウムとビタミンCと胃酸によって、グルタミン、フェニルアラニン、トリプトファンなどが生成される。そこからミネラル・ビタミンによってドーパミンやノルアドレナリンやセロトニン、メラトニンなどが生成される。ミネラル・ビタミンが不足すると、それら神経伝達物質が十分に生成されず、精神疾患の要因となる。

質が不足すると低血糖になり、脳に栄養が行かず眠気、イライラ、時にはうつっぽくなる事もある。血糖値はインスリン、ノルアドレナリン、コルチゾールなどのホルモンで一定値が保たれているが、高血糖時は血糖値を下げるためにインスリンしか出ないためそれほど精神に影響は出ないが、低血糖時には血糖値を上げるべく、交感神経を刺激する様々な種類のホルモンが分泌されるため、イライラ、不安感、動悸、頭痛などうつと診断される症状が出てくる。

肪は細胞膜やホルモンをつくるために必要な原料となっており、コレステロールの4分の1が神経細胞を構成している。全く取らないと細胞を維持する事ができない。

3.誤ったダイエット

以下のアンケートでは、ダイエットの方法として半数が食事制限をしているそうだが、やり方を間違えると逆効果になる。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000492.000007815.html

食事制限によって真っ先に落ちるのは筋肉であり、食事制限によるダイエット初期に減った体重は大体筋肉が落ちている。それは痩せたわけではなく、足りない栄養素をカバーするために筋肉を削ってエネルギーに回しているだけであって、筋肉が落ちるという事は基礎代謝が落ちて太りやすい身体になったということ。

また、最近カップラーメンにしても低カロリーを売りにした商品が販売されているが、カロリーが低ければ太らないというわけではない。例えば、同じカロリー量で肉か米を食べるなら、米のほうが太りやすい。なぜなら米を代謝するエネルギーは肉よりも少量で済むためである。

無理な食事制限によるダイエットは成功率は低いだけでなく逆効果になりかねない。リバウンドで済めば良いが、精神まで壊してしまわないよう注意が必要である。

4.最近の栄養事情

よく最近の野菜は青臭くないと言われる。これは品種改良によるものであり今の野菜は昔の野菜よりも栄養が減っているといわれている。

更に、保存技術の向上によって収穫から時間の経った食材が流通しているが、見た目は同じでも収穫から時間が経った食材は確実に栄養価が落ちている。

時間や手間の節約のために冷凍食品やレトルト食品が利用されるが、それら加工食品の栄養価は著しく落ちている。現代の食事情では普通に食事を取っても栄養失調になる場合があるのだ。それもうつが増加している原因の一つではないかと思う。

精神疾患の治療は主に投薬

シオノギ製薬と日本イーライリリーによるうつ病の啓発サイト「utsu.ne.jp」によると、うつ病の治療方法は「休養と薬物療法」をメインとしており、オーソモレキュラー療法等の他の治療方法は書いていない。

また、うつ病になる原因は「過剰なストレスや過労など」としか書いていない。ちなみに「うつ病の症状チェックシート」を見てみると低血糖症やビタミン・ミネラル不足による症状と被っている項目が少なくない。

うつ病などの精神疾患の診断は、米国国立精神保健研究所で作成された診断マニュアルに基づいて行われている。精神科医である立場上「うつ病の原因は過度なストレスや過労などであり、治療方法は休養と投薬治療である」としか言えず、精神科という畑の上でしか治療方法を提示できない。

実は低血糖症からの症状であったり、栄養失調によるホルモンバランスの崩れであっても、それなりの病名を診断されてSSRI系やベンゾジアゼピン系の薬を処方される。しかし根本的な解決ではないためいつになっても治らない。それら薬は依存性があるため、薬をやめる事もできず、徐々に効かなくなって増量される。

心身ともに健康に生きるためには

テレビでゴーヤが健康にいいと言えばスーパーからゴーヤだけが消えて、ツナがいいと言えばスーパーからツナだけが消える。

健康にいいものを沢山取れば健康になるわけではなく重要なのはバランスである。健康とされる食材を食べるために栄養バランスを欠いていたら元も子もない。テレビ番組に陽動されているような人は健康はなれないだろう。

心身ともに健康に生きるためには、朝早く起きて、日光を浴びて、3食バランスのいい食事を取り、よく運動をして、よく寝ることに限る。そして時にはストレス発散や気分転換のために趣味に打ち込み、友とよく笑い、他人を思いやる。
誰でも知っていて、誰でも思いつくような”ありきたりな事”は見過ごされがちであるが、実はこれが一番重要なことであると、自分自身、パニック症になった事で身をもって実感している。

暇だったので

暇だったのでふらりと出かけてきました。

近所の山

小学生の頃、よく友達とこの山に登っていました。頂上の眺めは良く、当時は通っていた小学校を見下ろす形で見えたので、ちょっとした優越感を味わっていました。

石段は当時と全く同じ配置で、木の位置も、落ちている石の位置もまったく変わらず、まるで当時から時間が止まっているようです。

あれから十数年経過した頂上は、すっかりと緑が生い茂ってしまい、眺めは良くありませんでした。

当時、頂上から景色を眺めている時、遠くにこの山と同じくらいの高さの山を見つけ、その山の頂上に赤い祠のようなものが見えていたのを思い出しました。いつか登ってやろうと思っていましたが、結局行かなかったな。

木々の隙間から祠をかすかに確認できました。↑画像の真ん中あたりです。

銅色に輝く寺の屋根

あれは小学校低学年の頃でしょうか。毎朝の憂鬱な通学路で、朝日に照らされ強烈に銅色に輝く寺の屋根を見て「今日も飽きずに光ってるなぁ」と思いながら校舎に入っていた記憶があります。あの屋根は現在どうなってるんだろうと思い、見に行ってきました。

記憶の中でギラギラに光っていた屋根は、すっかり黒くなっていました。もう二度と戻ることの無い銅色。記憶の中だけで輝き続けています。今思えばこれほどの量の銅版を使用しているという事は結構なお値段なのではと思います。

子どもだったあの頃は、学校・進路や狭い人間関係に束縛されていることを不自由に思っていて、大人はさぞかし自由なのだろうと羨んでいた。だが大人になった今思い返すと、子どもの頃の方が、何も無い毎日にワクワクできて、知らない事が楽しくて、意味も無く楽しかったなと思う。まあ9割思い出補正だろうけども。なんだかんだ今の方が楽しいんじゃないかな。

寺の前の通りの通学路。この鉄塔は最初に見たときから錆びていて全く変わりませんね。

画像右にはこの地域にしか無いらしいプロパンガスの空き缶を使用したこけし。標語が書いてあるのですが、なぜこけしの形なのか、なぜ標語が書いてあるのか、そもそも何の意味があるのか…今思うと不思議なオブジェクトです。

年代モノの消火器。これはレアです。

この地域で活躍した剣道範士の胸像。今日初めて存在に気づきました。

近所の山から見えていた祠

あの祠の正体は足利富士山にある男浅間神社であることが分かりました。登山口は幾つかあるようですが、そのうちの一つを見つけたので、隣にある駐車場に車を止めて登りました。

浅間神社まで450m ペタンコ祭とは。。。

この登山道は見晴らしが良く、織姫神社がよく見えます。

道は結構しっかりと踏み固められていて歩きやすかったです。

そろそろ頂上だろうか。。鳥居が現れました。

鳥居をくぐるとついにあの祠が現れました。

いつも見えていたのはこれかぁ。ようやく間近で拝める時が来ました。

境内からの眺めは最高に良好です。

ちなみにここを見ていた山はこんな感じに見えます。

この神社の歴史は古く、天喜2年(1054年)足利大夫藤原成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられています。道と東武伊勢崎線を挟んで上社:男浅間と下社:女浅間があり、こちらの神社は上社の男浅間となっています。二つあわせて足利富士浅間神社ということでしょう。

ペタンコ祭りとは、毎年6月1日に、神前にて今年生まれの赤ちゃんの額に御朱印を押し、足利富士浅間神社に初山詣を行い無病息災、無事成長を祈るという祭りだそうです。昔、渡良瀬川が氾濫するたびに作物が取れず、疫病が流行し、多くの幼い命が奪われました。そこで、富士山信仰のあったこの地域の人々は神社の御朱印を子ども達の額に押すことで、幼い命を疫病や災難から守るためにこのような祭りが始まったと言い伝えられています。

分岐まで戻って「胎内洞穴」へ。当時の修験者が加持祈祷を行った為、上部が黒く焦げています。

何気なく登って見たら結構歴史が深かった。目を凝らせば凝らすほど面白いものが見えるものですね。